今回の記事は、国家の統治形態に関するものです。
その昔、古代ギリシアの哲学者プラトン(427-347 BC)は、この世の国家統治形態(国制)は以下にある5つのいずれか、又はその中間的なものであると考察したのでした。
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【5つの国制】
①優秀者支配制(アリストクラティア):真実・本性を見る目を持ち、経験、徳性も劣ることのない立派な人によって意志決定がなされる体制。
②名誉支配制(ティモクラティア):軍人等国家の守護にあたる者が重要視され、勝利や名誉を重んじる体制。
③寡頭制(オリガルキア):所有する資産の大きさによって支配者が選ばれる国制。富裕者が支配し、貧困者には支配権が分与されない体制。
④民主制(デモクラティア):民衆による意思決定によって支配される体制。
⑤僭主制(テュラニス):権力を独占した指導者が支配する体制。
この5つの国制のうち最も理想的なものが①の優秀者支配制で、それ以外はいずれも欠陥を有するとしています。
これらの国制は⓵から⑤へと順番に変質して行き、その順序で社会は段々理想から遠ざかり、社会は不安定化して調和が無くなり、段々悪化して最悪の⑤僭主制が出現する、と考えられています。
(※プラトンがその代表的著作「国家」の中で挙げている上記5つの国制の呼称は他にうまく適合する適切な言葉がないために、通常用いられる使い方(意味)と異なるところがあるようですので注意が必要です。上記はプラトンが意味した内容を記載しています。)
古代ギリシア 当時の時代背景
プラトンは皆さんご存じの通り、ソクラテスの弟子とされる古代ギリシア、アテナイ出身の哲学者です。
当時のギリシアでは植民活動により各地に形成されていった都市国家(ポリス)が多数成立していましたが、その政治体制は様々で各地色々な問題が存在していました。
アテナイでは紀元前8世紀頃、王政が始まりやがて貴族制へと移っていきます。植民市との海上交易で商業が発展し富裕市民が発生する一方で、貧困層との貧富の差が拡大しやがて深刻な社会問題となっていきました。
そのような状況の中、ポリスの防衛に参加し活躍していた市民たちの発言力は強くなり、政治の意思決定に関する権利も要求するようになっていきます。
やがて市民の集会である民会のための会議場も作られ定期的に民会が開催されるようになり、公職も市民に開放されていきました。
こうして紀元前5世紀には民主制の基礎が確立されていきます。
しかしながら、そのような民主制下においては、
・十分な知識が無く判断力に乏しい市民が公職に就く
・扇動者に影響されて意思決定を行うものが増え、およそ合理的とは言えない政策決定や利益誘導がなされるようになる
などの問題が多数発生し、社会全体が不利益を被り段々混乱を生じていくようになります。
また、特にソクラテスやプラトンが生きた時代には、ポリス間の戦争もあり、中でもアテナイを中心とするデロス同盟と、スパルタが中心となるペロポネソス同盟の間に起こったペロポネソス戦争(BC431-BC404)は、古代ギリシア全域を巻き込む大規模な戦争となりました。
この長い戦争では最終的にアテナイは敗北することとなり、アテナイには親スパルタの三十人政権が成立して恐怖政治が行われ、対立する勢力が粛清されていきます。
更には、ペロポネソス戦争敗戦に関わった人物や三十人政権の指導者にその弟子がいたとして、プラトンの師匠であるソクラテスは不当な裁判にかけられることとなり、最終的に死刑宣告を受け毒杯を飲んで死ぬことになります。
このような民主制下における社会の混乱・衰退を、プラトンは目の当たりにしたのでした。
プラトンの考察:民主制への移行と僭主制への転換
プラトンは、③寡頭制(前記記載の通り、著書「国家」の中でプラトンは「財産の大きさによる支配体制」の意味でオリガルキア(寡頭制)という言葉を用いており、一般的な「寡頭制」の意味とは少し異なる)から④民主制への流れを凡そ以下のように説明しています。
・富裕者が財産が多いという理由で支配者層を形成する社会においては、貧富の格差は放置されることになる。
・支配者層は金儲け以外のことに関心を持つことがなく、金儲け以外のことは全て蔑ろにされる。
・固定化した格差はやがて支配者層の堕落を引き起こし、支配者層の能力も衰退する。
・このような社会では当然一般民衆に不満が溜り、あるきっかけから内乱が発生する。
・勝利した民衆へと権限が移行する。
一方、次の④民主制から⑤僭主制への転換は下記のように捉えられています。
・民主制が善きものとする「自由」への過剰なる傾倒が、「自由」以外のもの(例えば、果たすべき「義務」、必要な「規制」、安定をもたらし得る「秩序」等)への無関心をもたらす。
・社会は無政府状態(無秩序)へと向かい、人々は忍耐を忘れるようになる。
・行き過ぎた「自由」が、その反動として極端な「隷属」をもたらす。
ここに記載されていることの多くは、今も起きていませんか?
まるで予言書のようです…。
プラトンからの警鐘
これまで見てきたように、歴史上、民主制は決して理想的な政治体制として扱われてきたわけではありませんでした。
実際はその逆で「民主制はなぜうまく行かなくなるのか?」という問いを含む国制に関する考察から、「政治学」というものが始まったということになります。実際に独裁政権で知られる旧ドイツのナチス政権は民主制の中から生まれたのでした。
古代ギリシアのプラトンの時代、奴隷制があった点や産業構造・社会システムが現在とは大きく異なっていた点など、社会の前提条件が現代とは違っていた点も多いこともあり、プラトンの説が全て正しいとは言えないのかもしれません。
しかしながら、それでも彼の考察は現代にも十分に通ずるところが多々あるように思われます。
2500年近くにもなる長い時を超えて、今も顧みるべき重要な事柄をプラトンは我々に示してくれているのでした。
現在日本では与党総裁選がマスコミで話題となっているようです。
「果たして民主制は機能しているのか?」
そんなことを改めて考えさせられました…。
出典及び参考資料
1) プラトン, 「国家」上・下, 岩波文庫, 1979
2) アテナイ – Wikipedia
3) 民主主義 – Wikipedia
4) 衆愚政治 – Wikipedia
5) ペロポネソス戦争 – Wikipedia
6) ソクラテスの弁明 – Wikipedia
7) 三十人政権 – Wikipedia