アリストテレスが結論付けた理想の統治形態とは? ~ プラトンの弟子アリストテレスの政治学

天才達が考えたこと
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今回は前回に引き続き古代ギリシア哲学における政治学に関するお話です。
前回取り上げたのはプラトンですが、今回はその弟子アリストテレス(384-322 BC)が、特に国家の統治形態についてどう考えていたのかを見てきたいと思います。

Aristotle (384-322 BC)
画像引用元:Wikimedia Commons
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プラトンの考えを発展させたアリストテレス

前回のブログにも記載しましたが、プラトンは国家には基本的に以下の5つの統治形態(国制)があり、それが以下の順番で移り変わって行くと考えました。

【プラトンが示した5つの国制】
優秀者支配制(アリストクラティア):真実・本性を見る目を持ち、経験、徳性も劣ることのない立派な人によって意志決定がなされる体制。
名誉支配制(ティモクラティア):軍人等国家の守護にあたる者が重要視され、勝利や名誉を重んじる体制。
寡頭制(オリガルキア):所有する資産の大きさによって支配者が選ばれる国制。富裕者が支配し、貧困者には支配権が分与されない体制。
民主制(デモクラティア):民衆による意思決定によって支配される体制。
僭主制(テュラニス):権力を独占した指導者が支配する体制。

これに対しアリストテレスは、プラトンの国家(国制)に関する考えを更に発展させ、現実に起きた事例を数多く調査して、国家全体を見た時の特徴やその構成要素、現実社会で見られる様々な統治形態やその変革の原因等について考察し、彼の考えをまとめています。

まず国制の分類については、アリストテレス以前に既に議論されていたものを含め、以下のように整理しました。

興味深いのは、支配体制が同じだとしても、それが公共の利益を重んじているものなのか、支配層が自らの利益のために支配をしているものなのかによって、異なる呼称が与えられていることです。

正しい国制
(公共の利益のための支配)
逸脱した国制
(自らの利益のための支配)
単独者による支配制王制独裁僭主制
少数者による支配制貴族制または最優秀者支配制寡頭制
多数者による支配制国制民主制
*)多数者が公共の利益のために国事に参加する場合は、全ての種類の国制に共通した名で「国制」と呼ばれるとしています。

そして、国制の変革や移り変わりについては、プラトンが示した順序だけでなく、様々な方向や順序で起きることをアリストテレスは指摘しました。

それは民主制から寡頭制へ、または寡頭制から民主制へ、あるいはそれらから貴族制へ、またはその逆へと変化することがあるとしています。

また、最善の国制を有する国家についても考察を行い、最善の国家とは「他の全ての人を凌駕する優れた「」を有する人または人々によって治められている国家」であるとして、そのために必要な(体育や音楽を含む)公共的教育の重要性に触れ、これに関しても一つの指針を示しているのでした。

民主制と寡頭制の変革の原因

アリストテレスは、変革が起きる最も基本的な原因を以下のように説明しています。

例えば民主制においては、多数派の自分たちは全て同じように自由であるから、他のことにおいても無条件的に平等であるという基本的観念を持つこととなる。そのため、多数派のうちのある者が他人より少ない配分を受けていると思うとき、平等を求めて変革を訴える

そして民主制ではとりわけ民衆扇動家の無節操な言動が原因となって変革が起こると指摘しています。民衆扇動家は時には資産家たちのことを悪意を持って告発する。そのことによって、資産家が共通の恐怖を感じ結束することになり、民主制を覆すことになった実際の事例をいくつも示しています。

一方、寡頭制においては、少数派の支配層は優越による不平等を当然のことであると見なしている。にも関わらず、他人より多くの配分を受けることが出来ていないと感じるとき、不平等(優越)を求めて争うこととなる。

そして次の二つの場合に特に寡頭制の変革が起こるとしています。

1)少数支配者が多数者に対して不正をなす場合
2)寡頭派支配層の中から競争によって扇動者が現れる場合

アリストテレス的見解から見た現在の国制の課題とは?

これらのアリストテレスの考えを知って、筆者がまず気付いたことは、多くの先進国、少なくとも現在の日本や米国の国制は、アリストテレスがいうところの純粋な民主制ではないということです。

現在の日本や米国の一般有権者(多数者)は、純粋な民主制において見られるような、自らの利益を最大化する、そんな権限は持ち合わせていないと見受けられます。

そして多方面において「富」による支配が顕在化している現在の状況においては、貧富の格差を始めとした寡頭制の特徴が随所に確認でき、実際の状況は、民主制と寡頭制が混ざり合った国制」となっていると思われます。

ですから、アリストテレスのいう「正しい国制」へと向かうためには、主たることとして以下のような観点について、本来あるべき姿へと向かっているのかが問題となります。

一つ、富を有する少数者は、自らの利益ではなく公共の利益を考えて行動をしているのか?

二つ、多数派である一般有権者は、多くの古代ギリシア哲学者が指摘している民主制下に必ず現れる扇動者自らの利益になるような世論形成に向けて活動する人や組織)により多大な影響を受け、公益に適う判断を誤ることになってはいないのだろうか?
そしてそもそも多数派の多くは、自らの利益のためではなく公共の利益のための支配へと向かうように、公共の利益について真剣に検討し、その意志を持って公職に就く者を(投票等で)選んでいるのだろうか?

これらが改善へと向かわない限り「正しい国制」とはなり得ません。

ここで取り上げたほんの一部のことだけでもより良い方向へと向かわない限り、我々の社会は調和のとれた安定した「正しい国制」とはならないことをアリストテレスは示してくれているのです。

それはなんと、今から2300年以上も前のことでした

出典及び参考資料
1) プラトン, 「国家」上・下, 岩波文庫, 1979
2) アリストテレス, 「政治学」, 西洋古典叢書, 京都大学学術出版会, 2001
3) アリストテレス – Wikipedia

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