お釈迦様が考えたこと ~ 「仏教」という名の哲学

天才達が考えたこと
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生きる苦しみから逃れたい。そのためには一体どうすればよいのか?」

お釈迦様の「悟り」を開くまでの長い道のりは、こんな素朴で根源的な問いから始まりました。

ここでいう「」とは、「不愉快で思うようにならない」といった意味。「自分の意志や力ではどうにもならない苦しみ」というようなことを表します。

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仏教でいう「四苦」とは?

特に、「生・老・病・死(生まれること・老いること・病むこと・死ぬこと)」の四つは人が自由に思いのままに支配できるものではない。だから「苦」なのであり、この四つを仏教では「四苦」といいます。「四苦八苦」の「四苦」ですね。「八苦」については簡単に付記しておきますが、以下の四つを更に加えたものになります。

  • 愛別離苦 ー 愛する者と生別・死別する苦しみ
  • 怨憎会苦 ー 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
  • 求不得苦 ー 求めるものが思うように得られない苦しみ
  • 五蘊取苦 ー 人間の肉体と精神が思うままにならない苦しみ
出典:四苦八苦 – Wikipedia

お釈迦様の生い立ち・出家・苦行の日々

さて、ここで少しお釈迦様の出自について触れましょう。

時は今からおよそ2500年前。場所はインドの北、南ネパールにあったコーサラ国の属国シャーキャ。後にこのシャーキャの音写が「釈迦」となって「お釈迦様」とお呼びするようになるわけです。

お釈迦様(姓名はガウタマ・シッダールタ)は、このシャーキャ族の首長の長子としてご誕生になりました。ご誕生後実母とは7日目に死別。以後父の後妻となった実母の妹に育てられることになります。父は種族の首長でしたから将来後継者となることを期待され、様々な教育を受けながら育ちました。 

その後十代で結婚し一男をもうけますが、王族としての生活では満たされなかったお釈迦様は、文頭で述べたように生きることの苦しみを痛感し、人生における真実の追求と苦悩の解決のために、29歳で家族もそして地位も、全て投げ捨てて出家することになります。

インダス文明の影響とアーリア人の侵入(紀元前1500年頃)などにより、当時のインドでは既に「ヴェーダ」と呼ばれる聖典(宗教文書)が作られており、思想家、宗教家がたくさんいました。そして永遠の真理、不滅の原理との一体化を目指して出家をし修行生活に入る者も数多くいたのです。

またアーリア人の侵入はやがて、それまで農耕や牧畜といった生活を営んでいた社会を、商業や工業などの職業が現れる社会へと発展させ変貌させていくことになります。

職業の分化はやがてそれぞれの職業のランク付け(階級化)や部族間の対立や吸収・統合を生み、これらを統率する支配者をも生み出すことになっていきました。この職業の分化と階級化は後に今のインド社会にも根強く存在する「カースト」という身分制度を生むきっかけとなります。
(1950年に制定されたインド憲法にはカーストによる差別の禁止が明記されているそうです。)

このような時代に、お釈迦様は出家後何人かの思想家に師事し教えをこい、その後、何年にも渡って「苦行」に勤しむ日々を送りました。しかし、お釈迦様はそれらによって永遠の安らぎを得ることはできなかったのです

「苦行」については死に至ることが称賛される風潮にも疑問を持つこととなり、「肉体を不浄なものと捉え、不浄な肉体を衰えさせることによって精神の純粋性を顕現させるために修行をする」という物心二元論(肉体と精神は別物であるという考え)に立った修行のやり方についてもこれを放棄することになります。そして、これをきっかけとして「物心二元論」の立場で人間を考えることを止めたのです。

菩提樹の下で瞑想し、真の「悟り」を得る

苦行を捨てた彼は、ある日ある町でスジャータという名の村娘から牛乳の入った粥のお布施を受けます。長い間の苦行により衰弱していた身体はこれによって回復し、その後彼は菩提樹の下に座り瞑想に入ります。

そしてこの菩提樹の下で何日も瞑想を続けていたお釈迦様は、ある日夜明けの空に輝く明星を見たとき「悟り」を開いたと云われています。

では、その内容とは何でしょうか?

これに関してはどうやら簡潔に明記されたものはないようで、様々な仏典や伝記に色々な内容が書かれているようです。考えてみれば、お釈迦様の「悟り」の境地を一言で簡単に表現できるわけもなく、様々な高度な智慧が統合された末に「悟り」を開かれたのでしょうから、凡人である我々がすぐに理解できるものではないのでしょう。

ただ、どのようなことが考えられるのか、あくまでも参考として以下をご一読頂けると幸いです。

その内容(の一部)として考えられることは、

1)縁起(えんぎ)の「法」が最も普遍的な「法」(法律ではなく、この世を司る法則といった意味)であることを発見し、それがこの世の「真理」であることを知覚し確信したということ。世界は因縁(いんねん)によって生成しており、種々の因縁の作用によって結果を生じていることを体得したということ。

2)「四苦」に人が悩まされるのは、「四苦」が色々の因縁によって生起していることを理解していない、つまり「縁起について人が無知であり、苦しみが生まれる本当の原因を人が知らないから、この原因を取り除くことができずに輪廻(りんね)の中から抜け出せない」ということ。

3)であるから、「この世の全ては縁起によって生じる」というこの世の本当の姿を正しく知り、「無明(むみょう)」を改め正しい行為(業)を成すことができれば、やがてはどんな人でも生きる苦しみから逃れて(「解脱(げだつ)」して)永遠の安らぎを得ることができる。

ということです。

ここで出てくる「因縁」とは、「直接的な原因(因)」と「間接的な原因またはある結果を生じるための条件(縁)」という意味。

一方「縁起」とは、文字通りの意味では、「縁(よ)りて起こっていること」。つまりは、相互関係の因縁によって生起していることをいいます。

但しこの「縁りて」は、神や創造主が存在し、その存在に縁りてということをお釈迦様は言っていません。世界にある全てのものが相互に依存関係を持って生まれ、そして滅しているという現実のありさまを、「縁りて起こっている」「縁りて滅している」と表しています。

形あるものも含め、この世の全てのものは何らかの因縁によって生起されている(生起されたもの(結果)には必ず因縁(原因)がある)とお釈迦様は考えたわけです。

そして苦しみが生まれる大元の原因は「無明」にあると考えました。この「無明」とは、苦しみが生まれる仕組みについて「無知」であるということ。

「無明」であるがために身勝手な意志のはたらきが現れ、我欲によってものに執着するから、ものを自分の思い通りにしたい、所有したいという心が生まれる。ところが、あらゆるものは様々な因縁によって生成し消滅しているのだから、自分の思い通りにはならない。苦しみはそこに感じられる。という考え方です。

加えて「輪廻」とは、一般的には「身体が死滅しても魂がまた新たな体で生まれ変わる」といったイメージだと思いますが、お釈迦様はそのようには考えていませんでした。お釈迦様は「もろもろの行為の因縁による輪廻」を考えていたようです。つまり、人は何かの意志によって行為を起こし、善または悪の積み重ねを繰り返す。それが習慣となって身について、その習慣が因縁となってまた次の行為を起こす。これらの行為が世界をつくり、人を形づくるというのです。

仏教でいうところの「三毒」とは?

話は少し変わりますが、仏教には「煩悩(ぼんのう)」という言葉があります。この「煩悩」とは、「心を煩わし、身を悩ます心の働き」のこと。

中でも特に克服すべき三つの煩悩のことを仏教では「三毒(さんどく)」といいます。
「三毒」とは「貪(とん)・(じん又はしん)・癡(ち)」のこと。

「貪」は「むさぼり」、「瞋」は「いかり」、「癡」は「無知」を意味します。

既に説明をしてきた通り、お釈迦様はこの世の真理に関する無知が悩みや苦しみの大きな原因の一つであると説いています。

個人的には、特に克服すべき三つの煩悩の中に「無知」が入ってくるあたりが、お釈迦様の卓見、そして仏教の深み・面白さを特に感じるところです。

ちなみに「仏教」を英語で「Buddhism」といいますが、このもとになる語は「ブッダ(英語表記:buddha、漢字表記:仏陀)」。「ブッダ」とは「目覚めた(人)」の意。「悟り」を開きこの世の真理に目覚めた人のことを「ブッダ」と呼びます。ですからお釈迦様以外でも悟りを開いた方は皆ブッダと呼ばれます。

初期仏教と日本の仏教の違い

上記のように、お釈迦様が考えたこと、言っていたことは、元来、「宗教」というよりは「哲学」に近いものなのですね。現在我々がイメージする「仏教」は、その後、お釈迦様の思想を汲んだたくさんの弟子たちが、様々な解釈で新たに発展をさせた結果出来あがったものです。

特に日本に伝わった仏教は、中国を経由して伝来していることもあって、現在日本にある主な宗派は全て「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」に分類されるものです。の救済に目を向けている「大乗仏教」は、自己の救済に主眼を置いた「初期仏教」からはかなり変容したものになっているといえます。

この初期仏教については、現在はスリランカ、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア等で多数派を占める状況ですが、大乗仏教に比べると地域が限定されています。

一方、お釈迦様が「悟り」を開いた場所はインド北部のガンジス川中流域と言われていますが、現在のインドでは約8割がヒンドゥー教徒で、仏教徒はごくわずかとなっています。

インドではその長い歴史の中で仏教は衰退してしまいましたが、その要因にはヒンドゥー教が勃興していったというだけでなく、王朝の交代により仏教が弾圧を受けた時期等もあって、その学説には様々なものがあるようです。

それにしても「お釈迦様」が考えたこと、頭が良すぎてホント脱帽です。仏教についてはこれからも色々と学んでいきたいと思っています。

出典及び参考資料:
1) 田上太秀「仏陀のいいたかったこと」〈講談社学術文庫)
2) 佐々木閑 ブッダの生涯 4~7「仏教哲学の世界観」第2シリーズ(YouTube)
3) 呉智英「つぎはぎ仏教入門」(筑摩書房)
4) 四苦八苦 – Wikipedia
5) 釈迦 – Wikipedia
6) インドの歴史 – Wikipedia
7) 仏教哲学 – Wikipedia
8) カースト – Wikipedia
9) 輪廻 – Wikipedia
10) 大乗仏教 – Wikipedia
11) 初期仏教 – Wikipedia
12) インド – Wikipedia
13) 上座部仏教 – Wikipedia

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