・自然科学は、なぜヨーロッパで生み出され発展したのか?
・エジプトのピラミッドは、なぜあのような幾何学的な形をしているのか?
・沙漠で生まれた宗教ユダヤ・キリスト教の神は、なぜ人間のような人格を有する神なのか?
これらの疑問に対する一つの回答は、世界で初めて「風土」に関する詳細な考察を行ったある日本人によって示されました。その日本人とは、明治生まれの哲学者 和辻哲郎です。
画像引用元:和辻哲郎 – Wikipedia
今回の記事は、自分が特に取り上げたかった内容になります。
世界には実に様々な考え方の人達がいて、例えばある土地を訪ねた時、自分の当たり前が全然当たり前ではなかったり、今まで出会ったことがない考え方や習慣があるのに驚かされることがあります。
そういったその土地その土地での考え方はどこから来たのでしょうか?
要因は様々あるかと思いますが、その大きな理由の一つがこの「風土」によるものであることを知り、それ以降、自分は多様な価値観や文化、考え方の違いなどについて、色々なことが少し理解しやすくなった気がしています。
和辻哲郎が考察した「風土」とは?
通常、風土というと、それぞれの土地の独特の地形や気候、河川や地質などの「自然環境(自然科学的環境)」のことをイメージすることが多いかと思われますが、ここでいう「風土」とは、ある土地で暮らす人々がその環境との関わりによって見出すこととなる人間の内面(精神)の特性、およびその内面の特性の自己了解の仕方のことを指しています。
なんだか理屈っぽくて分かりにくい説明だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、早速具体例を見ていきましょう。
三つの基本的分類:モンスーン・沙漠・牧場
和辻哲郎は「風土」の考察として様々な事例を挙げ、実に深い解釈・考えを色々と示していますが、ここではそのごく一部のみを簡潔に示すことにしたいと思います。
この「風土」を説明するため、彼は3つの基本的分類として「モンスーン・沙漠・牧場」を取り上げています。
1)モンスーン
モンスーンとは、季節風のことを指すようですが、ここでは主に東アジア及びインドの地域を想定しており、中國や日本もその一部に含めています。
この地域の独特の風土を生む最大の要因として「暑熱」と「湿気」の結合が挙げられています。
この「湿気」は人間にとって時に「暑さ」よりも不快でやっかいで防ぎ難いわけですが、その一方でこの「湿潤」は植物を繁茂させ、更にはそこに生息する動物をも繁栄させることになって、沢山の「自然の恵み」を人間に与えてくれるのです。
ですから、こうした「生」に満ちた環境に取り囲まれた場所で暮らす人間は、自然の中に「生」を見ることになる。そしてそれに対する形で「死」は人間の側にあると了解するようになるわけです。
よって、そのような土地に暮らす人たちは、世界との関わりが「対抗的」ではなく、「受容的」になると彼は考察しています。
その一方、この「湿潤」は自然の猛威をもたらす場合もあります。大雨、暴風、洪水等多くの自然災害を我々に突きつけることもあるのです。
それを見た人間は何を了解することになるのか?
この圧倒的な自然の力には抵抗のしようもない。でもそれは「生」を育む自然の力によるものである。だから自然に対しては「忍従的」(生への忍従)になることになります。
このようにモンスーン地域の人間は、「受容的・忍従的」な特徴を強めることとなると和辻哲郎は考えました。
2)沙漠
上記モンスーン地域との対局を成すことになるのが、沙漠の地域です。
沙漠を特徴付けるものは「乾燥」。それも生命の危険、つまり「死」を感じる程に水がない自然環境がそこにはあるわけなので、そこに暮らす人間は草地や水場を求めて移動をすることになります。
そして草木や水のある場所は非常に限られているため、これが他の集団との争いの原因となり得ます。
ですから沙漠に住む人間は、人や世界との関わりについて、「対抗的・戦闘的」関係を見出すことになります。
そして沙漠的な人間にとって自然は「死」を表し、「生」や生産に関わるものは全て「人」の側、つまり「人工的なもの」側にあることになります。
古代エジプト人が、沙漠に対抗して人間の力を示す象徴として巨大なピラミッドを作りましたが、その形をあのような極めて人工的で単純な幾何学的形状としたのはそのような背景によるものと考察されるのです。
そしてそのような過酷な環境では、人は個人では生きて行けず集団で団結することになります。
各個人が所属する部族つまり全体への忠実、服従が必須になるということです。
ですので、ここに沙漠的なる人間の特徴として、「服従的・戦闘的」という二重の性格が挙げられることになります。
そしてこの「服従的・戦闘的」性格は、やがて、神への絶対服従と他の神を認めない一神教を生み出す背景となり、実際に生み出されたユダヤ・キリストの一神教の神は、沙漠において「死」を意味する「自然」から選ばれるもの*)ではなく、「生」を意味する「人間」のような人格を有する神となった、と理解されるということです。
*) 沙漠的風土とは反対に、自然から神(又はご神体)の存在が選ばれている例としては、例えばギリシャ神話では、海と地震の神ポセイドン、母なる大地を意味する豊穣神デーメーテールが挙げられます。その他日本ではキツネや白蛇等の動物、山や樹木、岩等の自然界のものが神社に祭られている場合があるのは皆さんご存じの通りです。
3)牧場
この「牧場」は、ヨーロッパの風土の特徴を表すものです。ヨーロッパも南北でやや気候の違いがあるので、歴史的に見てまず文明が最初に発展した(ギリシャ、ローマを含む)南ヨーロッパを考えてみましょう。
ここでは、夏は「乾燥期」であり、冬は「雨季」となります。
夏の乾燥期は、モンスーン地域に見られるような繁茂する旺盛な雑草は無く、丈がさほど高くはない牧草が広く大地を覆っています。
日本などと比べると、夏に雑草が少なく害虫も少ないので、農業労働はその分軽くなります。
これらのことは、自然が人間に対して「従順」であることを想起させます。
また、暴風などが少なくある種穏やかな気候に生息する樹木の姿は、真っ直ぐにそして規則正しくシンメトリックで整然としています。
そこでは「自然」の中に「合理性」「規則性」を確認することが出来るのです。
これらを見出したその土地の人間には、自然の中に潜む規則とは何なのか、それらを究明したいという探求心が生まれます。これが自然科学の創出・発展への原動力となったというわけです。
このように、牧場的風土における人間は、自然が「従順」であり、且つ「合理的」であることを見出すことによって、従順たる自然を人工的に支配し、人間中心的な社会(理性の発展、芸術などの創作、人間同士の競争による権力の争奪 etc.)を形成していくことになりました。
和辻哲郎が考察する日本の「風土」とは?
それでは日本の「風土」はどのようなものと考えられるのでしょうか?
先にも述べた通り、日本は「モンスーン」の中に分類されるのですが、他の地域とは違い、台風のような「季節的」ではあっても「突発的」な大雨を受けることがある一方で、世界的に見ても積雪量の多い大雪が降る地域も有しています。
それは、「熱帯」であり、且つ「寒帯」でもあるという二重の性格を持つという、モンスーンの中でも極めて珍しい風土を持っているということなのです。
この特徴は、モンスーン的な「受容性・忍従性」の中に、更に熱帯と寒帯が移り変わるような著しい季節の変化という性質を持ち込みます。
つまりそれは、調子の早い移り変わりと活発さ・敏感さを伴うということです。そしてその変化は「季節的」ではあるが、時に「突発的」にもなるというものです。
日本人はこのような特徴を感情の中に醸成することになり、感情の高まりを非常に大切にする一方で、しつこくこだわり過ぎることは忌み嫌うという、日本的な気質を形成するに至りました。
春になると、桜が急に花開き、鮮やかに満開を迎えて咲き誇った後は、長々としつこく咲き続けるのではなく、儚くも一斉に散るのを見ると、日本人はそこに日本的な美を深く感じるのです。
その他筆者が感じる日本の「風土」的特徴
和辻哲郎の著作「風土」の中では触れられていないのですが、自分は色々な土地を実際に訪問する中で以下のことも感じることがありました。
それは、まず始めに東アジアの街並みは大体において雑然としていて「カオス(混沌)」に満ちている。その一方、ヨーロッパの街はどこに行っても整然としていて、秩序正しく計画的(人工的)に作られているということです。
東アジアでは街を眺めると、建物のデザインや大きさ、外壁の色が所有者の好き勝手に作られていて、そこにある看板なども大きさや形、色などに全く統一性・ルールがなく、ごちゃごちゃしていてうるさい感じを受ける一方で、その街には力強い活気・エネルギーを感じる時があります。
ヨーロッパの街はこれと反対で、歩いていると街は実に秩序立っていてすっきりとした印象を受けます。街の中には必ず広場がありその周りに商店やカフェがあり、教会なども配置され、どの街を訪れてもおおよそ決まったルールがあって街全体に統一感があります。そして、東アジアの街とは違って自分の心も静かでゆったりと落ち着いた気分になります。
これらは皆、その土地の自然環境を眺めたときに見出す心の動きと合致していました。
更に日本で暮らしていて時々思うのは、
①我々日本人は東アジアの人々と同様、このカオスを違和感なく受容するマインドを持っているということ。
②日本では常に「改善」が施され、常に何かの小さい変化をみんなが求めているということ。
です。
まず①についてですが、論理的に考えるとおかしなことでも、この国ではすぐに変更しなければ社会や組織が回らなくなるような問題とはならず、当たり前のこととして大多数の人がカオスの状態を受け入れ、大きなストレスを感じることなしにやり過ごされる場合があるように思います。
例えば、同じ政党の中に全く正反対の主張をするグループが存在していたり、憲法に書いてあることが実体と大きく乖離していても社会は止まらずに動いていくことが出来る。
他には、若い子でいうと斬新なファッションなんかはそういうことの表れである気がしています。これまでの常識やルール(秩序)からはありえない組み合わせや着こなしを自由に発想して表現してみる。あえてカオスなものを創り出しそれを楽しむ。それをおかしいという人は過去のルール(秩序)で凝り固まった年寄り(筆者含む)だけで、面白みがあって楽しめるものは徐々に社会全体に受け入れられていく。
等々例を挙げたらきりがない程挙げられるのではないでしょうか。
②に関しては、例えばコンビニやスーパーにならぶ新商品の短い入れ替えサイクルを始め、100円ショップでの品揃え、店舗での商品配置の変更等、季節が変化し道端の草木や花が毎日何かしら変化していくのを楽しむかのように、事業活動の中でも変化が無いと活気がないかのように感じられるときがある。特にヨーロッパ等に比べるとそのようなことがある様に思います。
その他最近よく思うことは、我々日本人自身が日本のことをよく分かっていないのではないか、ということです。今後も日本というユニークな国について、気が付いたことを記事にしていきたいと考えています。
出典及び参考資料
1) 和辻哲郎, 「風土 -人間学的考察-」, 岩波書店, 1935 (ワイド版, 1991)
2) 和辻哲郎 – Wikipedia
3) オリュンポス十二神 – Wikipedia