「奴隷のように働く」など、今でも「奴隷」という言葉は日常的に使われることがありますが、現在、法的に「奴隷制」を認めている国は、世界で1か国も存在しないとされています。
1948年に採択された「世界人権宣言」では、第4条において奴隷制度並びに奴隷売買が明確に禁じられているとのこと。
1930年には強制労働条約で強制労働が禁止されましたが、いずれにしてもごく最近のことですね。
今回はこの「奴隷制」について、とくに奴隷が社会構造の重要な一部となっていた古代ローマにおいて、奴隷たちの生活が実際にはどのようなものであったのかを見て行き、それを踏まえた上で現在の我々の暮らしというものを考えてみたいと思います。
人類史の中では数多く見られる「奴隷制」。それはある種人間の「本性」を表しているものとも言えるのでしょう。
今回の記事は、そのきれいごとでは片付かない人間の「本性」に向き合う内容です。
刺激「やや強め」かもしれませんので、ここから先読み進めるかどうかは、ご自分でご判断いただきます様お願いいたします。
古代ローマの富裕層が見る奴隷
今回主に参考とした資料(書籍)は2015年に出版された「奴隷のしつけ方」(株式会社太田出版)です。
著者は、古代ローマの貴族の家に生まれたという「マルクス・シドニウス・ファルクス」。
この著者が語り手となって、古代ローマの奴隷の暮らしぶり、そしてなにより古代ローマの富裕層たちが奴隷をどのように扱い活用し、それが当たり前となっている社会が形作られていたのかを解説する内容となっています。
「古代ローマの貴族が書いたって、ずいぶん昔の本が最近発見されたの?」と少し疑問に思う方もいるかもしれません。
この本、実際には「マルクス・シドニウス・ファルクス」という実在の人物が古典ラテン語で残したものを日本語に訳したものではありません。
ケンブリッジ大学チャーチルカレッジで古代ローマの社会文化史、とくに「大衆文化」や「庶民の生活」を専門とする「ジェリー・トナー」という古典学研究者が、「マルクス」の名を借りて出版したもの(原題:How to Manage Your Slaves)なのでした。
この「マルクス」はトナー教授が考え出した架空の古代人。当時の文献から得られた知識をもとに当時の考え方を推察して解釈を加え、それをマルクスに語らせたというものなのです。
そしてこの本の面白い点の一つは、その解説が古代ローマの富裕層、つまり奴隷を所有する者の視点で書かれているという点。
当時の奴隷たちが如何に酷い生活をしていたか、悲惨で可哀そうな奴隷の暮らしぶりを強調する狙いで書かれたものとは趣が異なり、奴隷を活用する者の見方で当時の様子を描いているのです。
またこの本で書かれている内容は、主として古代ローマ共和政末期から帝政初期にわたる、ある長い幅をもった期間のこと。一人の人間がある特定の期間に実際に観察したことを書いた、というものではなく、文献の内容を要約して書かれたところや、複数の文献を融合したような内容も書かれているのです。
ですから、この書籍に書かれている内容も、それを参考とした本記事も全て真実であるとは言えない面もあることを、予めご承知おきください。
古代ギリシアの奴隷制と古代ローマの奴隷制
かつて都市であるローマだけでなく、地中海を囲む全域(南ヨーロッパ、中東地域の西部、北アフリカ)、そしてイギリスの南部にまで統治範囲を広げたローマ帝国は、戦争によって領土を獲得するだけでなく、そこに住む人民までも戦利品とみなし、奴隷としていました。

歴史を遡ると、そもそもの話として、例えば古代ローマより古い時代の古代ギリシアの昔から、奴隷を管理するという社会通念は既に存在していました。
「人は本性において互いに異なるものである」と考える人たちが少なからずいて、彼らは「手仕事や肉体労働をする人間は生まれつき卑しいので、より優れた本性をもつ人間の管理下に置かれた方がいい」という考えがあったわけです。
「奴隷は体が強く丈夫で肉体労働に向いている。その一方で奴隷の精神は、筋道を立てて物事を考えることが不得意である。その反対に、自由人の体はまっすぐ立つように出来ていて、腰を曲げて作業をすることには向いていない。しかし自由人の精神は堅固で知力に富んでいる。
勿論例外的なことはある。奴隷が自由人の肉体を持つこともあるし、自由人が奴隷の肉体を持つこともある。しかし全体としてみれば、創造の神は「自由人」と「奴隷」とを区別しており、それぞれの運命に適した本性を授けるのだ」と古代ギリシア人は考えたのでした。
ですから古代ギリシアにおいては、奴隷の存在は、ある種人間社会における「当然の摂理」のようなものであると捉えられていた面がありました。
これに対し、古代ローマ人の多くはそのように考えてはいませんでした。
人間が他の人間を自由に扱えるということは、自然に反すると考えていたのです。
古代ローマの思想家たちは、人間が別の人間を奴隷として所有するようになったのは、一つの社会慣習にすぎない。自由人と奴隷との間に生まれながらの違いなど存在しない。そこにあるのは、力(ちから)の行使による不公平である。実際に過去を振り返ると、危機の際に多くの奴隷が勇気ある気高い行動をとり、すべての奴隷が生まれながらにして卑しいわけではないことを示してきた。
だとすれば主人は生まれながらに主人なのではなく、主人たることを学んで主人になるのだ、と。
つまり、古代ギリシアの「硬直的」奴隷制に対し、古代ローマの奴隷制は「流動的」なものとなっており、だからこそ数多くの外国人を吸収することが出来、あれだけ広範な範囲にその勢力を広げて繁栄することができた、その要因の一つがこの点にあると考えられているのです。
現代人が持つイメージとは異なる古代ローマ奴隷制の実像
それでは古代ローマの奴隷制とは、実際にどのような状況にあったのでしょうか?
まずその数についてですが、当時の首都ローマは数多くの奴隷であふれていました。正確な数字はなく、あくまでもざっくりとした推測による数字のようですが、ローマ都市部およそ100万人くらいのうち、少なくともその3分の1、イタリア半島でいえば居住者の3~4分の1は奴隷だったという説があります。また帝国全体を見ても総人口およそ6000~7000万人のうち、ざっと8人に1人が奴隷であったと推測されています。
しかも奴隷が担っていた仕事は、肉体労働や軽作業、一般的な家事をこなすだけではなく、高い地位の主人から重要な仕事を任されているものも少なからずいて、社会的な影響力を持つものまでいたというのです。
つまり当時のローマでは、奴隷の仕事は一様ではなく非常に多岐にわたっており、単純労働だけでなく、知的労働を担う奴隷も存在し、奴隷なしではもはや社会は成り立たない状態となっていました。
そしてこれらの奴隷を何人所有しているかが、富裕層のある種のステータスにもなっていたのでした。
基本的には奴隷は一様に法律上の権利を持たないとされていましたが、法律が常に厳格に適用されていたわけではなく、実質的には金銭や物を所有する(法律上は主人の所有物の扱い)ことも許されていたようです。
主人に対しては「絶対服従」が当然とされており、命令に従わない場合の処罰や、行動できる範囲、食事の量や仕事量、結婚の可否までもその主人に委ねられていました。
しかしながら、時代が変わり帝政期になると、主人の横暴に耐えかねた場合、奴隷は神殿に逃げ込むことが出来るようになっていきました。
ただしこれはあくまでも奴隷の待遇を改善しようとしたものではなく、当時の皇帝が様々な社会問題に関与せざるを得なかった結果実施されたことのようです。
ちなみに、自由人についても基本的なことに触れておくと、当時兵役についていたのは皆自由人でした。奴隷が戦に駆り出されることはありませんでした。
また、自由人であっても貧困にあえぎ、家族を養うために卑しい仕事をしていたものも大勢いたようです。
古代ローマにおける奴隷の扱い方
奴隷を所有し、活用する立場にある「マルクス」は、奴隷の扱い方についても言及しています。
一例を挙げると「奴隷の扱いについては、高い理想を掲げたところで、現実にはまったく役に立たないことが多々あり、ときには実力を行使する必要さえ出てくる場合がある」としています。
「よい手本を示し、奴隷たちが勤勉になることを願っていても、実際にはそうならないことは多く、時には力ずくで分からせるしかない場面が出てくる。寛大な扱いがよい結果を生むとは限らず、反抗的な奴隷もいるため、動物と同じで鞭を使わなければ態度を改められないこともある。
主人の存在を常に意識させること。その意識のある奴隷は、注意深く、勤勉で、有能である。
但し、決して理不尽であってはならない。奴隷が少々口答えをしたり、生意気な態度をとっても、それが規律や権威を損なうものでない限りは、厳しい罰を与えるべきではない。奴隷は資産の一部なのであるから、その資産を損ねるべきではない。」
共和政の時代には、家長は自分の思うがままに奴隷を処罰することが出来たため、現代の常識に照らせば残酷極まりない行為も見られたようです。
このような扱いが許容された背景には、当時のローマ人たちの以下のような考え方が影響しているものと思われます。
「戦争で捕虜となり奴隷となったものは、そもそもローマ軍の情けがなければ命を落としているわけだから、軍事的抵抗に対する代償として奴隷となりローマ人に奉仕するのは、特段おかしなことではない。」
古代ローマの奴隷の楽しみとは?
時に過酷な重労働をさせられることもあった古代ローマの奴隷たちですが、その奴隷たちにとって、楽しみとは一体どんなものがあったのでしょうか?
例として挙げられていたのは、年に一度の一大行事「サトゥルナリア祭」。
この祭りの起源は古く、農神サトゥルヌスが世界を支配していた黄金時代を祝うお祭りです。
その時代は人々が平等で、社会には序列や階級はありませんでした。もちろん奴隷も存在せず、万人が万物を共有していたといいます。
祭りのあいだは、ローマ中が熱狂し、歓喜あふれる様子。われを忘れてどんちゃん騒ぎで盛り上がりました。
そしてこの祭りのときだけは、世の中の価値観がひっくり返り、普段良いとされることがそうでなくなり、逆に下品で汚らしいことが良いとされ、人々は役人をからかい、ときには皇帝までやり玉に挙げられ、数々の無礼講が行われたのでした。
街は盛大な催しであふれ、通りには仮装行列が繰り出し、広場は大道芸人や手品師、蛇使いなどが所狭しと並んでいました。
そんな年に一度の大イベントを奴隷たちも楽しみにしていたのです。
奴隷が存在した古代ローマから何を学んだか?
ここまで古代ローマにおける奴隷たちが、当時どのような扱いを受けて生活していたのか、当時の様子が窺える事案について、極めてごくわずかではありますが見てきました。
読者の皆さんはどのように感じられたでしょうか?
当時の実際の生活の様子がうかがい知れるような事柄を知ると、なんだか古代ローマの社会に対して親近感のようなものが湧いてきた方もいるのではないでしょうか?
歴史の教科書にある年表のような、事実や事件がただ淡々と書かれているものではなく、その時代に生きた人たちの行動や態度が表現されているものを読むと、当時を生きていた人々の様子が目に浮かび、とても人間味を感じてしまいます。
それでは次に、これらの古代の状況を踏まえて、現代の生活に目を向けてみましょう。
古代ローマの奴隷の様子を鑑みたとき、自分には以下のような疑問が湧いてきました。
現代の生活において、私たちは皆「自由人」であると果たして言っていいものなのだろうか?
今に生きる私たちは、日々の活動において、どれだけ自分の意志で物事を判断し、選択できているのか?
自分の活動の多くについて、自分自身で決定する裁量はなく、別の人間が決めていることにただ従うということはないのだろうか?
現代において「奴隷制は無くなった」と本当に言えるのだろうか?
古代ローマの「主人」と「奴隷」との関係は、現代において私たちが普段よく目にする社会的上下関係と似たようなものではないのか?
このような疑問が次々と浮かんできたのです。
しかしながら、さらに同時に、自分は以下のようなことも考えてしまいました。
古代ローマ人の生活ぶりを少し垣間見て、地理的にも遠く離れ、2000年にも及ぶ時間の経過があるにもかかわらず、人間の暮らしぶりというのは、その「本質」のところは、あまり変わっていないのではないか。
どんなに技術やテクノロジーが進歩しても、社会インフラが整い、保険や医療制度のような様々な社会制度が整備されたとしても、日々の人間の生活というものは、今も昔もそれほど変わらない様にも見える。
日々の暮らしで言えば、やはり身近な人間関係、家族や職場の上司・同僚、近隣に暮らす人との関係。これらの関係性に恵まれれば、いや、これらに関してより良い関係を築くことが出来れば、世の中がどんなに変化をしても、その与えられた環境の中で、人は幸せに暮らす方法を見出すことができる。
国家体制や経済状況からの影響ももちろんあることは間違いないが、それよりも自分の暮らしにとって一番影響が大きいのは、かつての古代ローマにおける「主人」と「奴隷」の関係がそうであるように、「身近な人との関係」こそが最も自分の生活を左右しているものなんだなと、改めてそんなことを発見したように思います。
周りの身近な人々との関係がより良いものになるように、そして日々の暮らしがより充実した光に満ちたものになるように、本記事を最後まで読んでくださった読者の皆さんに対しても心からお祈り申し上げます。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
出典及び参考資料
1) マルクス・シドニウス・ファルクス著, ジェリー・トナー解説, 「奴隷のしつけ方」, 太田出版, 2015
2) 奴隷制 – Wikipedia

