今回はついに、あの哲学界の巨匠、ニーチェに関する記事です。
ニーチェは皆さんご存じの通り、19世紀後半の哲学者です。彼の思想はその後の哲学者、思想家、文学者、政治家等々、世界中の人々に影響を与えました。
ニーチェは特に西洋文明の本質的理解について独自の革新的な解釈を提示し、新たな思想を生み出したことで知られていますが、今回は特に「人間を人間たらしめる価値判断の起源」について、彼が考えたことを一緒に見ていきたいと思います。
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ニーチェの生い立ちと「哲学者ニーチェ」が誕生した背景
ニーチェは1844年プロイセン王国(現在のドイツ)で生まれました。父親はプロテスタント・ルター派の牧師且つ教師でもあった人で、ニーチェは裕福な家庭に生まれたようです。
父はニーチェがまだ幼い当時、玄関先の転倒事故で頭を強く打ち付ける大けがを負ったそうですが、その後これが原因となり、ニーチェが5歳の時に他界してしまいます。
ニーチェには妹と弟がいましたが、父が亡くなった翌年には、当時2歳だったニーチェの弟も病死してしまいました。
その後は祖母とその兄が住む場所へと移住し、伯母の協力も得て生活をすることになります。
学生時代は成績も優秀で、学業以外に作曲もする等、音楽の才能にも恵まれていたそうです。
大学に進学すると、古典文献学の優れた研究者を師事することとなり文献学を修得しますが、才能を認められた彼はその後大学で教鞭を取ることになります。
程なく彼はスイスのバーゼル大学から古典文献学の教授として招聘されることになりますが、10年程務めた30代半ばに、仕事に支障が出るほどの激しい頭痛に見舞われ体調を崩し、大学を辞職することになってしまいます。
結果、それ以後彼は執筆活動に専念することとなりますが、彼の哲学的著作の多くはこの大学辞職後に生み出されており、その後それらの思想が時代を超えて広く世界に影響を及ぼすことになるのでした。
「よい」と「わるい」の価値判断はどのように始まったのか?
それでは今回の本題に入ります。人間の価値判断、例えば「よい」と「わるい」の価値判断は、初めどのように決められたのでしょうか?
ニーチェが独自の考えを提示する前までは、これらの価値判断、即ち道徳の起源は、その発生史の解明を試みていたイギリスの心理学者等により以下のように考えられていました。
もともと非利己的行為は、その行為を実際に受け利益を得た人々の側からの賞賛によって「よい」と呼ばれた。後になってこの賞賛の起源は忘れられて、それが習慣的に常に「よい」と賞賛されたという理由でそのまま「よい」と感じられるようになった。
これに対しニーチェは、この説の「よい」という概念の発祥地は完全に誤っていると主張しました。
「よい」という判断は、「よいこと」を受ける人の側から起こるのではないというのが彼の主張なのです。
その判断はむしろ「よい人」たち自身にあったというのが彼の結論でした。
これは一体どういうことなのでしょうか?
これについてニーチェは、以下のように説明をしています。
即ち、高貴なる者、強力な者、高位にある者自身が、低級な者、下劣な者に対比する形で自己自身及び自分の行為を「よい」と感じ「よい」としたことが「よい」という判断の起源である、と彼は結論付けたのでした。
つまり、低級なもの、下劣なものに対する高級な支配者種族の持続的、優越的な根本感情、これこそが「よい(優良)」と「わるい(劣悪)」の対立の起源であるということです。
これには根拠があると彼は続けます。
ニーチェは、ドイツ語の「わるい(schlecht)」という言葉に注目したのでした。
この「わるい(schlecht)」という語は、「素朴な(schlecht)」と同語であり、「率直に(schlechtweg)」、「純直に(schlechterdings)」も同様に、元々は貴族と比べた上での「平民」を意味する言葉でした。それがかなり後になって現在の意味に変移したのです。
このように「よい(優良)」や「わるい(劣悪)」という意味を表す語や語根には、ドイツ語だけでなく他の言語においても、貴族的な者たちが自らを高等であるとみなすニュアンスが含まれる例がいくつも存在するのです。このことをニーチェは発見し皆の前に明らかにしたのでした。
ニーチェが示した歴史的事例 ~ 危険は道徳の母
またニーチェは、別の観点でも道徳の起源に関する歴史的な事例について触れています。
古代ギリシアのボリス(都市国家)やヴェネチア等の貴族共同体は、絶滅を逃れ生き延びるために何をしたのでしょうか?
彼らは種族としての自己を維持するため、あらゆる抗争を経て生存を保ち、何とか勝利を勝ち得てきました。
そして、そのようにしてこれたのは一体どういう特性のお蔭であるのか?を、様々な経験を通じて学んでいったというのです。
この特性を彼らは「徳」と呼びました。そして、この「徳」だけを彼らは大きく育てあげ、この訓育を厳しく遂行しました。彼らは正義の名のもとに峻厳さそのものも「徳」の一つに数え入れました。
こうして、「非常に厳しく武人的、賢明寡黙で緩みがなく、心を落ち着けて深く思索する」という一つの人間の型が確立されていくのでした。
「危険は道徳の母である」所以がここにあるのです。
「徳」を意味する英語の「virtue」、その語源は?
ニーチェの著作の中では触れられていませんが、「徳」を意味する英語の「virtue」。この語源を調べてみたところ、この語源はラテン語の「virtus」となっていて、このラテン語の元々の意味は「勇敢さ、長所、男らしさ etc.」というものでした。
ニーチェが示したように、古の貴族共同体が辿り着いた存続のために必要な特別な特性、「徳」というものが意識された背景には、その源泉としての「勇敢さ、長所、男らしさ」という意味があり、その概念がラテン語の「virtus」を語源とする英語の「virtue」に含まれているということなのですね。
長い歴史によって淘汰され選ばれた一つの教訓、「徳」とはそのように人類が長い時間をかけて発見した「特別の特性」なのだという、その歴史的背景と意味合いをこの度初めて知りました。
現代の社会ではこの教訓は活かされているのか、いや、活かされていないのか…。
出典及び参考資料
1) ニーチェ, 「善悪の彼岸 道徳の系譜 (ニーチェ全集(11))」, ちくま学芸文庫, 1993
2) フリードリヒ・ニーチェ – Wikipedia
3) virtus 意味と語源【ラテン語】 – Gogen+
4) virtu の意味、語源・英語語源辞典・etymonline