過去と現在のMalaysia

訪問記
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マレーシアを訪れたのは今回が初めて。どこか暖かくてのんびり出来そうなところ、ちょうど12月だったのでクリスマスの雰囲気が感じられるところ、ということでマレーシアを選んで行ってみました。

マレーシアの最重要地「マラッカ海峡」

マレーシアはその歴史を辿ると、大昔から海上交易の要所で、7世紀頃にはマラッカ海峡経由ルートがアジアの主要海上ルートになっていたようです。

ですから、中世の頃にはインド、中国、中東、ヨーロッパ等からたくさんの人が訪れていました。

今現在、マレーシアの人口構成は、マレー系(約65%)、中華系(約24%)、インド系(約8%)等となっており、人口約3200万人の多民族国家です。

1400年にはマラッカ王国が成立しましたが、その後16世紀にはポルトガル、17世紀にはオランダ、18世紀にはイギリスにより占領されており、様々な異文化の影響を受けています。

16世紀、種子島に来た鉄砲も、イエズス会のフランシスコ・ザビエルらにより日本に伝わったキリスト教も、ともにマラッカを出発して日本に来ました。

そのマラッカにはザビエルが布教活動の拠点としていたセントポール教会跡(下写真)があり、現在は観光名所となっています。これらの歴史的な重要遺産群は、2008年「マラッカ海峡の歴史的都市群」としてペナン島のジョージタウンとともにユネスコ世界文化遺産に登録されました。

そして次の写真がマラッカタワーから見たあのマラッカ海峡の全景です。
スマートフォンでの撮影で且つデータを軽くしてアップロードしているので何ともわかりにくくて恐縮ですが、遠くの海峡付近にはタンカーと思われる大型船舶が何隻も見えました。

日本は現在、原油の90%以上を中東に依存していますが、その8割がマラッカ海峡を通過すると言われています。この狭いマラッカ海峡には水深の浅い所が数多く存在するため巨大タンカーは通過できないとの事、一度にたくさん運べないんですね。日本に暮らす者にとって正にこの場所は超重要地だったんですね。

マレーシアの経済

マレーシアは1981年以降、マハティール首相らが提唱した「ルックイースト政策」という近代化促進政策を推し進め「東南アジアの優等生」と呼ばれるまでに成長しました。

この「ルックイースト政策」の「イースト」は日本及び韓国のこと。両国が経済発展に成功したのは、国民の労働倫理、学習意欲、経営哲学等にあるとして、これに学んでマレーシアの経済発展と産業基盤の確立を推進しようとしたのがこの政策です。

その後様々な分野の国産化を推し進めた結果、特に自動車産業は国内メーカー2社の合計がマレーシア市場の半分以上を占めるに至っており、市場全体も2022年には新車販売台数が過去最高を記録しています。

この間のGDPの伸びも調べてみました。

1981年の名目GDPはUSドル換算で273億ドル、2022年は4070億ドルですから、名目GDPは約40年間で14.9倍。
ちなみにその間の主要先進国のGDP(USドル換算)の伸びは下記の通りです。
日本:3.4倍
米国:7.9倍
英国:5.2倍
ドイツ:5.7倍
フランス:4.5倍

また、マレーシア一人当たりの名目GDPは、2022年には12,466US$にまで上昇しています。

出典:世界経済のネタ帳データ を元に筆者が計算した値

首都のクアラルンプールには、現在そのランドマークとなっている「ペトロナスツインタワー」が1996年に誕生しました。当時の高層ビルでは世界一の高さ(452m)。ツインタワーとしては現在でも世界一です。

これ、なかなか、かっちょいいーですね。中はオフィスだとか。
ちなみに施工業者は、日本のハザマと韓国のサムソンが中心となったようです。

その他、首都クアラルンプールの中心地には最新型の大型ショッピングモールが立ち並び、新興国の勢いを肌で感じました。

広がるマレーシアの経済格差

その一方で、マレーシアでは経済格差が東南アジア最大となっており、特に民族間で所得格差がついてしまっていることが問題となっています。

これを是正するため1971年には「ブミプトラ政策」と呼ばれるマレー人優先政策が取られたりしていますが、優遇されない人の不満をあおることにもなるため問題の本質的解決には至っていないようです。

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